こんばんは。
常陸大宮のホテルからです。
被災地遠征の初日が終わりかけています。
支援活動は、やっぱり「予定通り」とはいかないけれども、
気持ちは伝わるもんなんだなーと実感した一日でした。
遠征メンバーは、ヲンくん、総長さん、サカキとボクの4名。
他にこばくんはじめ、たくさんの方がお見送りに来てくれました。
22日23時ごろから、天満の倉庫にて支援物資積み込み。
23日0時ごろ、大阪出発。
1時半過ぎ大津SA着、4時ごろ富士川SA着、6時ごろ海老名SA着、とまぁ、ここまで順調。
7時すぎごろ、首都高通過中に、茨城の午後会う予定の友達から電話、
「子供が熱出しちゃって今日会えなくなった」とのこと。
このまま行くと、今日何も予定が無く、常陸大宮に着くのも10時ごろについてしまう。
とりあえず眠かったので、ホテルに電話して、
何時にチェックインできるか聞いたら「14時」とのこと。 時間余りすぎ・・・。
で、9時ごろ、友部SA@茨城県で作戦会議。
前日までに、【日本ユニバ震災対策チーム】の方から
支援物資受け取りについての連絡をいただいていて、
事務所に行けば、物資の受け取りとあわせて現地の情報もいただけるとのことで、
無理を承知で、今から訪問できないか、
日本ユニバをご紹介いただいたサカスさんに確認したら、快くOKを頂きました。
サカスさん、ありがとうございました。
何をするにもまずは情報取集。
11時半ごろ、いわき中央IC付近のファミマで、総長さんのお兄さんと合流。
12時ごろ、いわき市常磐上矢田町田端の【日本ユニバ震災対策チーム いわき支部】へ。
日本ユニバの詳細はこちら。
http://www.npo-uniken.org/
こちらの支部で、絆さんに紹介してもらったIGAくんと合流。
支部長の小針さんと対談。震災直後からこれまでの支援の状況を聞く。
震災直後に必要だった毛布は、1週間経ったら不要になっていたとのこと。
必要性を呼びかけて物資が集まるころにはもう需要が変わっている。
もしくは、それだけ今回は支援の初動がはやかったのか。
いわき市は、元々10以上の市町村が合併してできた市で、日本で3番目に大きい市。
一つの市だけどなかなかまとまりがない状態らしく、地区によって横の連携ができていないとのこと。
日本ユニバ震災対策チームのこれからの活動理念は、「いのちをつなぐ」。
見えない"リスク"を回避し、見えない"声"を形にするとのこと。
現在はライフラインが9割復活していて、物資もある程度あるが、
孤立避難者や独居老人などの支援が今後は必要になるとのこと。
震災関連死を防ぐための様々な活動を模索されています。
そういった活動をするためには、やはり現地の民生委員や高齢者クラブなどと連携を取る必要があり、
そことの情報共有は、地域コミュニティに入り込むことになり、いろんな問題があるとのこと。
日本ユニバの方の名刺の裏には、「誇りが持てる支援」として、以下のような文言があります。
支援する側の一方的な思いや行動に落ち入ることなく、
被災者と支援者の双方にとって誇りが持てること。
“支援=正義”と思うことなく、非常事態の中でもお互いの距離感を大事にしないといけない、
という事を改めて実感しました。
その後、日本ユニバの倉庫に物資を預けて、今後の活動に役立てていただくことに。
今回、世帯ごとに配給セットを作ったけど、
今までは品目ごとにケースで分けられていて、
そういった分け方は今までどこもしてくれなかったとのことで、やりやすいとのことでした。
日本ユニバの方とは、今後も引き続き情報共有、活動の連携を続けていくことを約束しました。
その後、中華のんきで昼食。超大盛りでした(笑)
明日は、日本ユニバの方と一緒に、炊き出しのお手伝いをさせていただくことになりました。
また、海沿いの方に足をのばしてみようと思います。
当初は予定が大幅に変わって、どうなることかと思いましたが、
物資を届けるということと、現地とのネットワークを築くということ、
今回の遠征の二つの目的を達成できました。
関西からできること、関西だからこそできること、やはりあると思います。
できることを、細く、長く、続けていこうと思います。
村上
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Cody (月曜日, 23 7月 2012 11:36)
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